現在いくつかのクラスでは、毎月最終週に瞑想を行っています。
今月もアーサナの後、希望者の皆さまと一緒に瞑想を行いました。
ところで、紀元前500年以前にすでに成立していたというインドの聖典、ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッド(大森林派奥義書)には、真理を探究するための瞑想について次のように段階づけて説明されています。
1.
聴聞(シュラヴァナ)…聖典や導師の教えをよく聞き学ぶこと
2.
熟考(マナナ)…その聴聞(教説)をもとに深く考え洞察すること
3.
深い瞑想(ニディディヤーサナ)…熟考が自分のものとなり習慣化できるほどの深い瞑想
4.
悟り(ギヤーナ)…三昧(さんまい)と呼ばれる質の高い意識状態での悟り
以上のような4段階が、瞑想の具体的手段として開示されています。
ちょっと難しいのですが、これはつまり、伝統のヨーガにおける瞑想とは、ある指針となるもの(=智慧・教え)が提示され、それを元にして真理を探究していくのだ、ということです。
言い換えると、瞑想をするときには、まずは題材となるもの(智慧・教え)が必要である、ということになります。
いろいろな情報が錯綜している現代の世の中で、何を指針として生きていけばいいのか。
それは、古くから伝えられてきた教えである。
時代の厳しい淘汰を経て生き残ってきた智慧や教えは、頼るに値するものである。
そして、それは現代に生きる私たちにとっても、非常に有用である。
これは、いつも私のヨーガの先生がおっしゃることです。
そんな古くから伝わる智慧に基づいて作られた聖句を元に、今回も瞑想を行いました。
今月の聖句は
「
生まれて進化せざれば
生まれざるに同じ」
今回は、この智慧の言葉(聴聞・シュラヴァナ)にもとづいて、クラスの皆さまと10年前の自分をそれぞれ思い出しました。
10年前の自分と今の自分とを比べて、どこが進化・成長したかを、瞑想の中で調べ(マナナ・熟考)ました。
このようにして少しずつ少しずつ自分のことを知り、真理へとたどり着くための一段階としての瞑想です。
最後に、聖師シャンカラが記した「パンチャダシ」に書かれている言葉をご紹介して終わります。
瞑想の高い次元に達した心は、あたかも風の無いところに置かれた、ろうそくの炎のごとく安定する・・・
sachie