Ram-Ramのホームページはこちらをクリックして下さい
「不足がちなところ」を何よりも尊重するべきものとして

先日、通っているヨーガ教室でのこと。

以前私は股関節を痛めたことがあり、それからというものあまり動きがよくありません。

それを見た先生が、私にかけてくれた一言。

「よかったね。」

どこか体に悪いところがあるほうが、自分を大切にできるし、人の痛みもわかるからね、と。


普通なら、身体に不調があったら、その部分を嫌い排除しようとしてしまいます。

身体以外にも、不都合なことから目を背けてしまったり、「これさえなければ・・」と思ったり。

私はよく、そうしてしまう自分に気づきます。

でも、本当はそういうところこそ、大切にするべきところなのかもしれません。



そんなことを考えていたら、ある言葉を思い出しました。


・・・体で「いちばん貧弱」とみなされている部分が、だいじなのです。
わたしたちは、体の部分で「たいしたことない」と思ってしまうところを、なによりも尊重するようにします。
それで、わたしたちが「目ざわりだ」としていた部分が、よりすぐれた調和をもたらすようになるわけです。
調和がとれている部分には、そうする必要はありません・・・。
 神は、「不足がちのところ」をなによりも尊重すべきものとして、体を組み立てられました。
それで体に分裂がなくなり、各部分が互いに配慮しあうようになるのです。
(コリントの人々への手紙Ⅰ 12章22-26節) 本田哲郎「釜が崎と福音」より


ヨーガは意識を内側に向け、からだと心を静かに「みる」ことからはじまります。

そこには善悪の判断はありません。

ただ、自分の内に起こってくる様々な出来事を、観察します。

そうして得ることのできた“気づき”が、自分(からだ、心)との調和へと導いてくれるのだと思います。

股関節の動きの悪さも、私に自分の身体を見るきっかけを与えてくれたんだな。

今回の先生の一言で、これからも自分を深く知るためにヨーガを続けていきたい、と思いました。
[PR]
by ramram-yoga | 2009-03-30 13:51 | ことば・メッセージ | Comments(0)
<< シャバ・アーサナ 統合医療の時代へ >>