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すべてが”わたし”である
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「”わたし”とは何者か」という問いを発した直後から、立て続けに応答がありました。
その日の内に、手にとった本の中から言葉が飛び込んできました。
翌日は京大の広井先生の授業の聴講後、皆さんとカフェでお茶をしていた時の話題として出てきました。
そして極め付けは、ふと録画していたNHKこころの時代のシリーズ「唯識に生きる」の第2回目を観ようと再生したら、その回のタイトルが「”自分”とは何者か」でした。
あまりに直球の応答だったので、タイトルを見た瞬間、ひとりで噴き出してしまいました(笑)

「問いを発すれば応答あり」
やはり、これは確かな事のようです。
得たい回答があるとするなら、宇宙に問いを投入しなければなりません。

この人生で、真理を得るための究極の問いを見出す。
そのために心身を極限まで研ぎ澄ましていく。
それが、人間に与えられた最大の難問かつ、これ以上無く面白くてエキサイトする挑戦なのかもしれません。

最近、生きることや死ぬこと、そして自分という存在について、考えに考え抜いた人たちと出会うことが多くなりました。
周りにそんな人はいないとつい最近まで思って孤独を感じていたのですが、それは単に、私がそのような人との交流に心を開いていなかっただけだったのでした。
私もやっと、満を持してその課題を正面から問える段階に入ることができたようです。

今私ができる最大限の認識力で、人間が到達しうる最高の境地について考えてみています。
それは「この世界のすべてが”わたし”である」という境地ではないかと思います。
”わたし”が、米澤紗智江というこの個人を超えて、無限に広がっていく。
ですから、個人としての私が死んでも、”わたし”が無くなることはない。
そもそも、よく洞察を深めると、個人としての私は、実はとても曖昧なものなのではないでしょうか。
このあたりのことは、これからもっと実体験と共に体認していきたいと思っているところです。


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さて。
最近は大学時代によく聴いていたアフリカの音楽を毎日流しています。

西アフリカはマリ共和国の歌姫 Fanta Damba が唄う「Sekou Semega」。


ちなみに、この動画の女性はFanta Dambaではありません。
彼女はこんな人です↓(音声自体は上の方がいいので、下の彼女を観ながら上の音楽を聴いてみてくださいね)

通奏低音的にベースとして流れているG調のハーモニーが、自己の存在が絶対的に支えられていることを感じさせてくれるようです。








by ramram-yoga | 2017-05-26 22:22 | music
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