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完全とは
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「あなたは今のままで完全ですよ」

というような言葉を時々見聞きしますが、いまいち理解できるようなできないような。
だって、完全と言われても、まだまだ成長の余地があるし…。
と思っていたのですが、今日ひとつ気づいたことがあるので、言語化しておきます。

今日は福井で初級ダルシャナ(カウンセリング)の自主研修会があり、ファシリテーターとしてお伺いしました。
参加者は交互にセラピスト役とクライアント役とに分かれ、カウンセリング・トークの練習を行っていきます。
ファシリテーターや導き手がいるこのような場では、セラピスト役が行き詰っても、ヘルプサインを出せば、そこで助け舟があります。

でも、実際のカウンセリングの場では、そういうわけにはいきません。
30分なら30分のカウンセリングの間、クライアントと一対一。
逃げ場はありません。
クライアントからどんな話が出てくるか、本当に分かりません。
当然、ヘビーな話題も出てきます。
でも、カウンセリングが始まったら最後、誰にも頼ることなく、その与えられた30分を自力で終えなければなりません。
これは、ある意味苛酷な状況です。

でも、このように誰にも頼れない状況になってはじめて、セラピストは今自分が持っているものをフル活用します。
この際、理論がどうとか、技法がどうのとか、あれこれ考えている場合じゃありません。
とにかく、技法あの手この手、そして自分のこれまでの人生経験から使えるものは何でも引っ張り出してきて、目の前のクライアントさんに最善のことができるように、最大限の努力を払います。

この経験が、セラピストとしての器を、大きくしてくれるように感じています。
「自分が未熟で申し訳ない」というような思いを持つことは、一見謙虚なようでいて、お金を払って期待して来てくださっているクライアントさんに対しては、失礼です。

私が最近セラピーにおいて意識していることは、一回一回のセッションにおいて、完結させること。
クライアントさんが楽になりたくて来られているのなら、何回か来ていただいた上で楽になることを想定するのではなく、今日このセッションで、楽を体験していただく。
もしくは楽になることへの希望を持って帰っていただく。

この変化する世の中で、完全性というものを体現することができるとするなら、そのような形で可能なのではないか、そんな風に思いました。
つまり、その時その時に、自分の持つ力を余すことなく発揮すること。
その時その時を、完結させること。

私たちは、そのひと時ひと時に全力投球し、完結させることによって、いつも、完全性をあらわすことができるのだと思います。
これは、非常に能動的要素を伴うことです。

「今のままでいいから」と、好き放題するのとは違います。
与えられた宿命に対して受動的だからです。
一見好き放題しているように思えて、実は翻弄されている訳です、与えられたものに。

完全性というのは、むしろその対極にあるのではないでしょうか。
どのような場であれ文句や言い訳を口にせず、与えられているものを引き受けて立つ。
そして、全力投球して、完結させる。
そういう風に考えてみると、冒頭の言葉は、納得できます。
でももっとしっくりくる表現に変えると、こんな感じかな。

「わたしたちはいつも、自己の中に完全性を見出し、体現することができます」


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自主研修会前に、深緑(ふかみどり)というヴィーガンカフェで、ランチをごちそうになりました。
いつもお招きくださる、福井のヨーガ療法士の素敵ご夫婦に、心から感謝。
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そして、本日の自主研修会も、涙あり、笑いありで、とても濃密な素敵な時間でした。



感謝と愛をこめて





by ramram-yoga | 2017-12-10 23:55 | 最近のいろんなこと
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