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死と向き合う事で、今が見えてくる
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9月17日・18日は、プロジェクト「いのち」の夏季合宿に参加してきました。
1日目は私も実行委員として携わっている人体科学会第26回大会のシンポジウムや研究発表で登壇されるそうそうたる先生方の発表やワークショップ、2日目は「生と死の研修~よりよく生きるために」と題されたワークショップが行われ、2日間ともに非常に濃密な時間を過ごしました。

2日目の「生と死の研修」では、“死の体験旅行”という死の疑似体験をしました。
自分の大切な“物”・“人”・“活動”・“夢”を書き上げた付箋を、自分が死を宣告されたがん患者になったというシュミレーション・ストーリーの中で、1枚、1枚と捨てていきます。

案外早い段階であきらめがついて捨てることのできたもの。
後々まで捨てられず、譲れないもの。
自分の死が迫ってくる中で、これまで目いっぱい抱えていたたくさんの大切なものたちに優先順位をつけ、取捨選択していくことを、リアリティをもって突き付けられます。
驚いたのは、自分が普段たくさんのエネルギーを注いでいて、アイデンティティにより深く根ざしていると思っていたものが、意外と早い段階で捨てられたことでした。
最後まで握りしめ、どうしても捨てられなかったものを、死を目の前にして捨てなければならないときは、涙せずにはいられませんでした。

そしてその作業を通して、自分が何によって支えられ生きているのか、今何を一番大切にするべきなのかが、今までになくクリアーになっていきました。
死をリアルに感じることで、今の自分の状態が浮き彫りになり、方向性がはっきり見えたのです。

帰宅して翌日の朝は雨模様。
低気圧のせいか夫と息子は遅くまでぐっすり眠っていて、2人が起きるまでの間、気が付くとひたすらに掃除と片付けをしていました。
死の疑似体験をしたことで、心の中の大掃除と整頓ができたようです。

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ある経営者の方が、“雲を突き抜けて山の頂にのぼると、それまで見ていた風景とはまったく違った風景が見え、他の山の頂が見えてくる”というようなことを言っておられました。
私自身は頂まで登ったわけではないのですが、本当にそうだな、と思います。
あるいは周波数に例えられるかもしれません。
ある種の心の状態がある一定の周波数を放っているとすれば、心の状態が変わると周波数も変わり、それに同調するように出会う人や起きてくる出来事が驚くほど変化します。
すると、それまで見えていた世界が全く色彩を変えてしまう。

この世の中には本当にたくさんの人が生きていますが、どんなに近くにいても周波数が合わなければ会うことができない。
逆に、周波数が合ったなら、確率論から言うと奇跡としか言えないような出会いが、あるものですよね。
この世界にはまだまだ、見ていないたくさんの景色がありそうです。

こんな風なことを強く思ったのは、合宿の1日目に登壇された先生方のご様子というか、存在感に物凄く感化されたからです。
私とは全く違う世界を見ておられるのだな、と思いました。
ある先生などは、オーラというのでしょうか、眩しい光を放射状に発していて、発表されている間は眩しすぎてその先生が見えなくなってしまったほどでした(笑)
まさに、ひょぇ~!です。
人間界にもこのようなお方が、いらっしゃるのですね。

…といった個人の感覚的所感はともかく、医療の分野においてご自身の専門性を一筋に数十年追及されてきた独創性と、実力の高さには、本当に目を見張るものがありました。

そんな、そうそうたる先生方が、まさに集結される人体科学会第26回大会は、12月3・4日に京都府立医科大学で開催されます。
ご興味のある方は、是非ご参加くださいね。
私もスタッフとして会場にてお待ちしております^^








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by ramram-yoga | 2016-09-20 19:55 | 最近のいろんなこと
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