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「科学と哲学」
最近いろいろと本を紹介いただく機会があり、今年になってまた新しい世界が開けていくような気がしています。

フランス哲学者でもあり、医哲学のパイオニア的存在でもある澤瀉久敬(おもだかひさゆき)先生のご著書「哲学と科学」「健康を考える」の2冊には、非常に刺激を受けました。
今回の記事は「哲学と科学」について。
哲学と科学について、それぞれの特徴・利点・補うべき点が挙げられ、それらは統合することでしか学問としては完成し得ないのだと、鋭く深く独自的な視点から語られています。

まずはなんと言っても、フランスの香り漂う美しい文章表現に魅了されてしまいました。
さらに美しさを感じさせるのは文章表現だけでなく、言葉で様々なことについて突き詰めて考察しながらも、言葉のあやで袋小路に入ってしまうことなくある結論に到達するまでのその過程においても、でした。
いろいろな問題提起がなされながら、そのつど答えが導かれながら、周りに回って気がついたらまたスタート地点に立ち戻ってしまったりするのです。
でも、当初立ったスタート地点と、いろいろな思索を繰り返しながら立ち戻ったその同じ地点とは、見えている風景が全く違います。


特に、後半の「哲学と個性」の章は本の中でもクライマックスで、心に深く響くものがありました。


「科学と哲学」_a0118928_13544086.jpg自我は非我を通じて自己を自覚するということ。

自己を知るとは、自己を純化するということ。

そして、これら自己の自覚とは、自己を完全に個性化することなのだということ。

その時、存在は真の個性にその全き姿を現すのだということ。



これらの内容は、今まで私が疑問に思っていたことに大きな示唆を与えていただきました。
真理はひとつのはずなのに、世の中にはなぜこんなにたくさんの偉大な思想があるのだろうと思っていたのですが、“すべての哲学説は同一であると同時にそれぞれが最も個性的である”という文章に非常に納得しました。
それと同時に身の引き締まる思いでもあります。
それは自分が実感を伴って獲得したものしか自分の真実には出来ないということで、その意味ではこの世界に生きることはとても厳しいことでもあるのだと、改めて感じました。

澤瀉先生の数々のご著書の中に、たまに例えで女性のことについて書かれているのですが、短い言葉なのですがその描写がこれもまた美しいのです。
澤瀉先生に美しいと思わせる女性ってどんな人だったのかな、と、おもわず思いを馳せてしまうほど・・・。
by ramram-yoga | 2013-04-30 09:45 |
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