Ram-Ramのホームページはこちらをクリックして下さい
かみそりの刃の上を渡るが如く
今日はのヨーガ療法の研修に行ってきました。
以下、講話より。

**********

辛いときやしんどいとさは必ず、自分が何かに対して意味づけをしているところから生まれる。
その意味付けは、「~~であるべき」「○○ねばならない」といった執着・こだわりから生まれる。
ヨーガのアーサナによる「今ここ」に集中する状態(マインドフルネス)では、放っておけばどんどん膨らんでいく自分の考えを断ち切り、意識をコントロールすることができる。


**********

本当に心って、ちょっと油断するとすぐにあちこちに動き回ります。
改めて自分のそんな心の状態に気付かされ、驚いてしまった今日の研修でした。
それにしても、感覚器官の対象物や迷妄の力の大きいこと。
ともすればすぐに引きずり込まれて身動きがとれなくなってしまいます。

それらに屈せず自己制御の道を進むことは「かみそりの刃の上を渡るが如く」難しい。
日々の練習の積み重ねなくしては前進できないのですね。


常に心に制御が効かず、識別を持たぬ者は、御者の荒馬に似た自らの感覚を統御できない。
然るに心が常に制御され、正しく識別する者は、御者の両馬に似て自らの感覚を統御できる。
正しい識別を失い、思慮に欠け、常に不浄な者は決して目的に至ることがなく、生死の輪廻に巻き込まれていく。
しかし識別の知性を持ち、常に清らかで制御された心をもつ者は目的の地へと到達し、再び生まれ変わることはない。
識別の知性を御者とし、よく統御された心を手綱とする者は、旅路の終わり-偏在する霊の至高体験-に至る。

          スワミ・ヤティシュワラーナンダ「瞑想と霊性の生活1」より

[PR]
by ramram-yoga | 2012-09-14 21:51 | ことば・メッセージ | Comments(0)
<< 親子ヨガ MAMAYOGA >>