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内観への招待
今日は、ヨーガレッスンの瞑想の時間に、自分の体に対する内観をしました。

普段何不自由なく動いてくれる体を当たり前と思いがちですが、改めて体に「してもらっていること」「負担をかけていること」について調べ、最後に自分の体に「ありがとう」と感謝といたわりの言葉を心の中で言って終わりました。

ある摂食障害の女性は、自分の体に対する内観で、このようなことを思われたのだそうです。

・・・過食しては吐くということを毎日繰り返していました。体をいじめ続けていたのに、それでも体はちゃんと機能してくれていて、生きていることができました。今思うと本当に申し訳ないことをしました (木村秀子著「伯耆の国から」より)

この女性のように、私も日々自分の体に無理をさせてしまっていることに反省したと同時に、それでも健気に働いてくれている体に対して改めて感謝しました。


先日、奈良で内観セミナーを受け、また10月にはふうや内観研修所にてヨーガ療法WSをさせていただくことにもなり、最近もう一度“内観”というものを自分の中で反芻しています。

また、先日ある方からヨーガと内観の違いについて尋ねられてペラペラと説明した後、果たして自分はどのくらいヨーガと内観それぞれについて理解できているのだろう?実はそんなに理解できてなかったりして、とも思いました。


内観とは字に書いてあるがごとく「内を観る」ということでありまして、それは「己を知る」近道なのであります。


a0118928_2273974.jpg現在の内観療法のスタイルを確立された故・吉本伊信先生のご著書「内観への招待」は、上記の文章から始まります。

先日大和内観研修所にお邪魔したときに購入した本ですが、内観についてとても分かりやすくかかれている本だと思います。
吉本先生自身の内観面接者になるまでの並大抵ならぬ苦悩と情熱、そして純粋で真摯な姿勢は、私が食の師と密かに仰いでいる甲田光雄先生と重なるものを感じさせられました。


最後に、「何のために内観をするのか」について書かれた文をご紹介して終わります。

われわれは、この世に教育を受けに生まれてきたのです。
その教育というのは何かといいますと、どんな逆境にさいなまれようとも、また他人の目には「あの人はかわいそうやなぁ」と映ろうとも、どんな地位、境遇、立場、状況にあろうとも、

「ありがたいなあ、わしみたいな悪い奴が今日も元気で達者に、こうして暮らさせてもろうて、幸せやな。
 どこ痛い、どこ痒いっちゅうことあらへん。
 本当に幸せやなぁ。」

と、感謝報恩の気持ちで暮らせる、そういう心のすみかに大転換すること、これがこの世に生まれた目的であり、そのために教育を受けるのであります。(本文より)




a0118928_2283837.jpg右の写真は、吉本先生が建てられた大和内観研修所です。

とても立派で、数十名の方が一度に内観できるのだとか。

中の雰囲気も厳かで、いい内観ができそうです。


sachie
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by ramram-yoga | 2010-09-17 21:20 |
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