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行為による結果の放棄
レッスンで行う瞑想では、ヨーガに関する言葉を一つご紹介して、そのテーマにそって、自分の心の働かせ方の傾向を調べていきます。

今月の聖句は「人の為すべきは 働け もっと働け あくまで働け」という智慧の言葉です。
これは、人生の成功者と言われる人の場合は、決して労働や行動を、嫌わないということです。むしろ、働くこと、行動すること自体に喜びを感じるのだということです。

今月は、この言葉をテーマとして、日々自分がどのような動機で行為をしているか、ということについて調べました。

a0118928_113810.jpgヨーガというのは、ポーズ・アーサナや呼吸法だけのことを指すのではなく、むしろそれはほんの一部分であって、ヨーガというのは、元々は「モクシャ」と呼ばれる悟りの境地に達するための、全人的な精神修養の方法です。

そんなヨーガのさまざまな教えが、現在に伝えられてきているわけです。
なぜ、ヨーガのクラスでこんな瞑想をするかというと、そのヨーガの教えが現代の普段の生活をする上での役に立つ、日本で言えば格言とかことわざのようなものですので、少しずつご紹介しています。

ヨーガの修行方法で「カルマ・ヨーガ」というのがあります。
「カルマ」という言葉のもともとの意味は、「行い」という意味ですので、「カルマ・ヨーガ」は「行為のヨーガ」と言われたりします。

この「カルマ・ヨーガ」とは、行為の仕方についての教えになっています。
どういった教えかというと、「結果の良し悪しに関わらず、今自分に与えられている義務に対して最善を尽くす」ということです。
つまり、自分が善意で誰かに何かをしても見返りを求めないとか、結果はどうであれ、今自分の持ち場を淡々とこなしていく、ということです。

そしてそのことによって、ぶちあたっている困難が打開され道が開けていく、また行為そのものによって自分が成長し磨かれていく、ということです。

逆に、結果を求めてばかりいるとどのようになるかというと、例えば、オリンピックの選手が、競技中にメダルを意識したら集中力が途切れてミスをしてしまうといったことがあります。
逆に、ここまで練習をしてきたんだから、精一杯自分の持っている力を出し切ろうと競技に集中すると、つまり行為そのものにしっかりと集中すると、最善の競技ができてそれが結果としていい成績につながる、という例があります。

このように、結果を求めるより、行為そのものに集中することが大切だ、ということです。

私の場合で言いますと、私が最初にヨーガを教え始めた頃は、来てくださる方が1クラスに1人とか2人とか来られるのはまだいい方で、誰1人来られず一人でヨーガをして帰ることもありました。
そういった状況の中で、私にできることはやはり、そのときそのときのレッスンを丁寧にする、今目の前にいる生徒さんに対して誠意をもって接する、という積み重ねだけだと思ってやってきました。
現在は、クラスも生徒さんも増えましたが、それはあくまで結果ですので執着するのではなく、変わらずに目の前にあることに最善を尽くすことで、結局は自分が成長させてもらっているなぁとありがたく思っています。



sachie
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by ramram-yoga | 2010-04-22 16:50 | 瞑想 | Comments(0)
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