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今後の方向性
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下の子は7か月になりました。
私にとって2人目の出産は、1人目よりもインパクトが強く、世界観がまた大きく転換したように感じています。

その中でも大きかったのは、“みんなつながっている”ということの実感です。

一時期、我が子に幸せであってほしいと願えば願うほど、世界で起こっている凄惨な出来事にニュースを通して触れるたびしんどい日々が続きました。
我が子が残虐な扱いを受けるような状況には、なってほしくない。
でも・・・世界ではたくさんの人が今でも基本的な人権が剥奪され、搾取され、声もあげられないままでいる。
日本でも、いじめや虐待、暴力・・・目や耳をふさいでしまいたくなるような残虐な行為や、それに苦しめられている人たちがいる。


そこから目を反らして、生きていくこともできる。
自分や自分の身近な人が幸せでさえあればいい、と。
もしくは、幸せかどうかは、その人の責任だ、と。


でも、よく考えると、テレビの向こうで苦しんでいる人と私は、切り離すことができない。
つながっている。
我が子に関わってくれている人、その人たちに関わっている人、その人たちに関わっている人・・という風にたどっていくと、疑いようのない事実として、世界中の人たちはみんなつながっている。
今この瞬間に苦しんでいる人がいるということは、決して自分に無関係なことではない。


では、私に一体何ができるというのだろうか?

中村哲医師のように、アフガニスタンで自分の命をかけて活動をした人がいる。
吉野彰さんのように、世界に貢献する研究をしている人がいる。
では、私には一体何ができるのか。
幼い子をかかえて、家庭を持っている私に。
何度も、無力感とともに、自問自答していました。




一方で私は、個人の人生としてはこれまでにない幸福を味わっていました。
二人目の妊娠・出産は私にとってとても嬉しいことで、こんなに幸せでいいのかと思いながら、満たされて毎日を過ごしていました。
個人の幸せで言えば、私はもう、これ以上求めることはないような気がしています。
愛する家族に囲まれて、からだも健康で、心身共に満たされています。


でも・・・個人的な幸せを感じれば感じるほど、世界で凄惨な出来事に遭遇している人たちのことが自分に迫ってくる。
この、私の心の中で起こっている、相反する現象は何なのだろう?

そう考えたときに、ひとつはっきりしてきたことがありました。

それは、

人は、自分が満たされてはじめて、本当の意味で他人に関心が向く、ということ。


このことに気づいたときに、マザーテレサの ”愛の反対は無関心です” という言葉の意味を、身をもって理解できたように思いました。
自分が満たされていなければ、本当の意味で人に関心を向けることができない。
自分が満たされていないのに、人のために動こうとしてしまうと、それは義務感を伴い、依存を引き起こしてしまう。

自分が満たされたときにはじめて、純粋に他人に関心が向く。

あぁそうか。
そうだったのか。




それでは、世界の人が幸せになるために、搾取される人が減るために、凄惨な出来事が減るために、どうすればいいのか。

それは、まずは自分が満たされ、幸せになるということ。
自分を満たして満たして、あふれ出たものが、日々触れ合う人への純粋な関心となり、周囲へのあたたかいはたらきかけとなる。


そして、そんな風にして、満たされ、幸せな人が増えていったら?
日々すれ違う人、電車で出会う人、仕事先で出会う人が、満たされ、幸せな人たちだったら?

そんな人が、自分の利益のために、人から搾取をするだろうか?
自己顕示欲のために、人を支配しようとするだろうか?
自分には関係ないからと、そばで助けを求めている人を見て見ぬふりするだろうか?

満たされ幸せな人が醸し出す雰囲気。
満たされ幸せな人の表情、発する言葉、行為。
そして、満たされ幸せな人たちが集まり、創造していく社会。



そんなことを具体的に想像していくうちに、だんだんと確固とした想いとなっていきました。

世界の幸せのために、まずは個人としての”私”を満たし続け、幸せでい続けよう。

そして、目の前の人が満たされ幸せになるサポートをしていこう。
すべてはつながっていて”すべてがわたしである”という立場から。
あなたと私が不可分であるところの”大きなわたし”が満たされるために、個としての自分の持ち味を存分に発揮していこう。




方向性がはっきりしてくるにつれ、今後の動きについても、構想ができあがってきつつあります。







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# by ramram-yoga | 2020-01-26 16:50 | 最近のいろんなこと
底つき体験
ここのところしばらく
何かをしようと思い立ったら

「しないでおく」

という選択を
繰り返していた。



そうしながら
自分の心の動きを観察していると
これまでなんとたくさんのことを
しようとしてきたのかということに
気づかされた。


「しよう」と思った時に
しないでいるという選択をする。


そうすることで
それまで「やらなければ」と思っていたことから
ひとつひとつ手を放していく。



手放そうとするとき
不安や戸惑いが
生じてくることもあったけれど

そんな時には
何を恐れているのかについて
よく考えてみた。



そして今ここに意識を戻すと
私が今、ここに存在していることは
何の揺るぎもないことで
何一つとして失うものが無い
という結論に
繰り返し至った。




こんな風にして

気が付けば手を伸ばし
何かにしがみつこうとするのをやめて


手をはなし

また

手をはなし



そうしていくと

自らの重さで
海底に沈んでいく潜水艦のように

ゆっくりゆっくりと
下方向に降りていく感覚があった。



そしてある時
もうこれ以上下方向に
降りなくなった。


底にたどりついたのだと思った。


底はどこまでも柔らかくあたたかく
安心感が広がっていた。


こんな場所があったとは
知らなかった。



摂食障害やうつ病だった時に
「底つき体験をすれば回復する」
ということを聴いて
治るものなら喜んで底つき体験をしたいと
苦しんで極まろうとしたけれど
一向に底にはつかなかった。




今なら
以前の自分がなぜあんなに
苦しんでいたのかが
よく分かる。



底に落ちてしまうことができず
落ちないように
必死にもがいていたから
苦しかったのだ。




手をはなしてしまえばよかったのだ。

安心して。



手をはなしてしまえば
そんな私をしっかりと受け止め
そしてすべてをやさしく包みこんでくれる底に着地できる。



そこには、いつでも
立ち戻ることができる。



そして
そこから動く。

そこから活動を展開させていく。



それが
安心から動くということ。






愛と感謝をこめて




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# by ramram-yoga | 2019-12-15 07:55 | 最近のいろんなこと
生き方を問い直す
このところ、これからどんな風に生きていくかを、毎日自分に問い直している。

自分がこれまでしてきたひとつひとつの活動について、本当にこれからもやっていきたいことなのか、吟味する。


すると、少し前の私なら手放すことなど考えもつかなかったいくつかのことを、手放すという選択肢が見えてきた。
その選択肢を候補に挙げたことに、他でもない自分が驚いている。


今まで当たり前のように自分の基盤としていたものも、崩していくのかもしれない。

それは正直、少し怖いことでもある。
つかみどころを失ってしまうような感覚もある。

でも、自分のからだの感覚として、確信に近いものがもっと根底にあって、そこに正直でいたいと思う。


言葉であらわすとすると、
「充実」というよりは「充足」

どこかへ目指して向かうのではなく、今ここに留まり、充足していく感覚。

意識のベクトルが、内側に向かっていく感覚。




今まで積み上げてきたこと、エネルギーを注いできたことを切り捨ててしまうのではない。
それがあるからこそ、今の私がいるのだから。

でも、過去に手にしてきたものにこだわるということも、しない。





自分に問えば問うほど、自分の内側からはっきりとしたレスポンスが返ってくる。
その内容が、これからの自分にとって大きな変化を伴うものであっても、
「あぁそうか。」
「やっぱりそうか。」
といった感覚がどこかにある。



この感覚を頼りに、今の立ち位置、今後の身の振り方を考えている。

さて、これからどうなっていくか。
わくわくしながらする、面白い作業でもある。



愛と感謝をこめて


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生き方を問い直す_a0118928_09564226.jpg

# by ramram-yoga | 2019-11-06 04:39 | 中心の一点
深まり、極まり

最近つくづく、もう何かを求めて、ここではないどこかへ向かっていく必要は、ほんとうに無いんだなぁと思う。

今、ここにいる。
それで満たされている。



それは「目的に到達してしまった」というような、過去形で表される感覚ではない。
到達し続けている、というような、現在進行形の動的な状態のように感じる。


自分の中心にある原点は、静的な場所ではなくて、常に躍動し、動的だ。
どこまでも奥行きがあり、深まりがある。


自分が向かっていくべきは、そこなのだと思っている。
外側に何かを求めたり、成し遂げたりするのは、結果であって目的ではない。
外側の世界に背を向けて、ひたすら自分の中心に向かって掘り下げていく。

そして、時々振り返って、外側の世界で華やかに打ち上げられあらわれる現象を眺めている。

そんな感覚でいる。

掘り下げた先には、さらなる深まりと、極まりがある。





掘り下げるほどに、「今ここにいる」という感覚が、深まっていく。


ふと出会う、ひとつの言葉に対する味わいが、深く体に響いていく。





過去や未来という概念が、刹那や憂いや途方もない感覚を引き起こすものではなく、まさに今ここに存在しているという充足を引き立てるものに、全く逆転してしまう。

その他にも、目に映るもの、出会うものが、全く様相を変えてしまう。



真理というものもまた、静的なものではない。
動きがあり、躍動している。
掴んだり見つけたりといった対象化できるものではなく、そこに身を浸していくもの。
真理に身を浸し、また真理も私に沁みとおっていく。



自分が変化することで、相手もまた多様に変化していく。

自分がどこまでそれを深め、究めていくことができるのか。


決して終わることが無い。
そしてこれ以上面白いこともない。


愛と感謝をこめて





最近ひたすら聞いている、スコット・ロス演奏、バッハのパルティータ。






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深まり、極まり_a0118928_09564226.jpg







# by ramram-yoga | 2019-11-01 12:09 | 中心の一点
8~10月の読書本
妊娠してから活字が頭にほとんど入らなくなり、しばらく読書から遠ざかっていました。

最近だんだんと頭に入るようになってきたので、記録がてら8~10月に読んだ本を。



1.『子どもの脳を傷つける親たち』友田明美著
2.『承認をめぐる病』斉藤環著
3.『トラウマ返しー子どもが親に心の傷を返しに来るときー』小野修著
4.『子どもを信じること』田中茂樹著
5.『親と子の気持ちを結ぶ 魔法のしつけ』長谷川博一著
6.『生き抜くチカラ』為末大著



8月に公認心理士の試験を受けたのですが、受験勉強をする中で興味を持った本が中心です(為末さんの本を除き)。
臨床家の書いた本は実践に根差していて、視点もそれぞれ独特で説得力もあり、面白い。


本来は職業人としての見識を深めようと手に取った本でしたが、結果的には自分自身のこれまでの子育ての振り返るきっかけにもなりました。

子育てにおいて、よく「こういう言い方をしましょう」「こういう接し方はNG」といった方法論が指南されている本が出回っています。
確かにいいアイディアも多いのですが、ただどこまでいっても方法論は方法論どまりという感があります。

ひとつの正解があり、それに自分の育児が当てはまっているか、という視点から見て、当てはまっていればOKで一安心、当てはまらなければダメなど。


最終的には方法論では太刀打ちできない局面に、直面することになるのではないでしょうか。

そこで問われるのは、親が子どもに対し、人として誠実に接しているかということ。
そしてそれは詰まるところ、親が自分の人生を真剣に生きているか、ということなのだと思います。



親に迷いや妥協がある時、子どもはそれを即座に肌で感じ取り、文句を言ったりごねたりする。

反対に、親が揺るぎなく真剣に意見している時は、子どももフラフラとした感じがなくなり、定まっていく感じがします。


子どもは、自分の生き様を、純粋に映してくれる鏡のような存在でもあります。


愛と感謝をこめて






バッハのパルティータを、スコット・ロスのチェンバロで。








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# by ramram-yoga | 2019-10-31 13:15 |