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断食1日目
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行事が入って日程を変更し、今日から断食に入りました。
予定より3日遅れです。
しかし、この3日間でまたまた余分なものがごっそりと抜け落ち、なんとも言えずすがすがしいです。
自分がこれまでギューッと握りしめてどうしても手放せなかったこだわりが、スーッと手放せたのです。
手放してみると「自分はどうしてあんなに握りしめていたんだろう?」と、可笑しくなってしまうくらい、こだわっていた過去の自分が滑稽に思えたりします。

こうして考えてみると、断食は“心の断捨離”でもあるな、と思います。
断捨離では時間軸を”今”に置き「今の生活に、これは必要か?」という基準で、物を残すか処分するか決定していきます。
これは、心にも当てはまるな~と、つくづく思います。
自分の握りしめているたくさんの価値観や信念、それは今の自分にとって有用なものであるかどうか?
そう考えて吟味してみると、意外と不都合なものを握りしめていたり、するのですよね。
特に、幼少期の狭い世界観の中で刻み込まれた印象と、その時に得た価値観・信念を、今も持ち続けていることが意外と多いと、自分の体験でも思います。

しかし、自分の持っている価値観や信念に気付くこと自体が、とても難しい。
コンタクトレンズを付けているかのように自然なので、普段は色眼鏡を通して世界を見ていることすら、忘れてしまっています。
では、どのように気づいていけるのか?
これは、やはり練習が必要なのだと思います。
いろんなやり方がありますが、ひとつは自分を鏡のように映し出してくれるような、または気づきを促してくれる人や物事と、接することでしょうか。
私にとってヨーガは、まさにそれです。

さて。
面白いことに断食でも、普段気づくことのない自分の心の傾向がクリアに浮き上がってきます。
そして、1回の断食ごとに、テーマがあるのですね。
ある回に出てきたのは、”虚しさ”でした。
また、ある回に出てきたのは、”敵意”でした。
それぞれに、瞑想の中でその心のエネルギーの源を探っていく作業を丁寧に行っていき、源に光が当たる(客観視できる)とそのエネルギーのわだかまりが溶け、昇華していく。
そんな感覚を持っています。
今回の断食で早くも出てきたのは、思いついたことを後先考えずパッと行動に移す、短絡的な心の傾向です。
近いうちに時間をとって、この心の傾向の出所をじっくり探ってみたいと思います。














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# by ramram-yoga | 2016-08-16 21:04 | 断食 | Trackback | Comments(0)
Who am I ?

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私は、誰?
ヨーガでは、aham asmi (私は…である)という自我意識を生じさせるのは ahamkara(我執)という内的心理器官であるとされています。
この ahamkara は自己の本質ではないのだと、ヨーガで学び、何度も確認して理解していたつもりでした。
なのに、これまでずっとずっと、自我意識本位で物事を見聞きしていた…。
数日前に、視点が突然ガラッと変わる体験をして、そのことに気付きました。
自分の心臓が鼓動する大元である chaitanya (純粋意識)に向けて、ひたすらマントラを唱えながら瞑想をしていた時のことでした。

私たちは、「私」という個人が他の生命と分離して存在しているということに、何の疑いも持たず暮らしています。
しかし、それが、自分の想念が作り上げた幻想だったとしたら?
常に欠乏感を持ち、到達したいと渇望しながら終わりのない探求を続け、個の意識を強め続けることにならないだろうか。

逆に、「こうありたい」「よりよく変化したい」という想いを手ばなし、個の意識を弱めていく先に広がる世界に、行ってみたい。
力を緩め、委ねて、任せきる。




あなたの源を探し求めなさい。
「私」という想念が湧き上がってくるところを発見しなさい。
どんなものをわれわれはより確かだと思うことができますか、
またわれわれの真我よりいっそう確かなものを知ることができますか。
これは直接的な経験であり、それ以上説明することができません。

もし今の「私」が消え去ると、
心はそれが神話に過ぎないということがわかります。
残っているものが純粋な真我です。
深い眠りの中では真我が身体や世界を知覚することなしに存在しており、
そして幸福が君臨しています。

『不滅の意識ーラマナ・マハルシとの会話―』より





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# by ramram-yoga | 2016-08-13 00:09 | 瞑想 | Trackback | Comments(0)
5回目の3日断食
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世の中は、お盆ですね。
私はといえば、今日から3日間の断食に入ります。
前回の断食以降、3回の3日断食を行い、今回が5回目です。
こんな風に詰めて断食をしてみようと思ったきっかけは、私の尊敬するセラピスト長谷川郁さんのブログ記事「断食の効果を出すためにはダッシュすること」を読んだことです。

※この、郁さんはご自身で断食を何度もされ、現在は断食指導をskypeで行っておられます(ブログはこちら)。
 私も断食指導をskypeで受けたことがありますが、いただけるアドバイスが的確かつ、その人の心理面もしっかり見てくださるのでおススメです^^


3日間食を断つ、ということは、体にとってはものすごい打撃。
普段食事で入ってくる栄養が、ほとんど入ってこない訳です。
このように体を危機状態にもっていくことによって、大きく発動する自然治癒力の効果を狙う、これが断食です。
私も最初は、しようかしまいか躊躇しました。
下手すると体調を大きく崩してしまうかもしれません。
でも、変わりたかった。
というより、前回の記事(「身も心も軽く」)でも触れましたが、自分の苦しみは他の誰でもない、自分が作り出しているのだということを突き付けられ、心底「もういい」と思ったのです。

この少し前に、ご縁あってあるヒーリングを受けたことがありました。
私自身は当時の苦しい状態の原因を知りたいと思ったのですが、そのヒーリングで苦しみの元を探っていくと、どうしても過去生までさかのぼってしまうのです。
過去生が実際にあるのかどうかは別として(私自身はフォーカスの仕方によっては輪廻転生はあると考えています)、その中で、とにかくおどろおどろしいものがズルズルと引き出されていきました。
もちろん、その時に引き出されたものは必要あって出てきたものだったのでしょう。
消耗の激しい、しんどい作業でした。
しかし、最も私を消耗させたのは、底なし沼にズブズブと足を取られていくような感覚でした。
過去に原因を求める立場に立ち、無数にある残存印象の処理をしていくことを思うと、気が遠くなってしまったのです。

そして、「○○があるから今の私は苦しいんだ」という原因論的な立場に立っている限り、苦しみは際限なく続いていくのだということに、深い実感を伴って気付き始めました。
因果関係というものは、ある一定の時間軸を想定した上に存在する法則であって、現在の状態に対する解釈を説明するものではない。
そうではなくて、今自分が幸せか苦しいかは、自分が選び取っていける。
今ここで。
そして、よく「○○セラピーを受けないとこの病気は治らない」「▲▲がないと私はだめになる」と思ってしまうことがありますが、それも違う。
今、立ち向かいたい問題があるとしたら、その問題を乗り越えるためのものは、すでに手にしている。

しかし、いざ変わっていこうと決心して断食に入ろうとすると、自我意識がものすごい抵抗を起こしていることに気が付きました。
変化は未知なので、不便であっても現状の安定を望む小さな自我にとっては脅威。
だから、必死でやめさせようとしていたのですね。
なので、3回目の断食までは、半ば強引に断食に入りました。
まぁ、苦しかったですね(笑)
でも。
1回、また1回と断食を繰り返すにつれ、まるで玉ねぎを1枚ずつ剥いでいくように、自我意識の分厚い皮が剥がれ落ちていくのが分かりました。
その過程で、ネガティブな感情や激しい情動も、出てきます。
でも、それまで自分が考えていたような恐れるに足る類のものでは、それらはないということもわかってきました。
恐れたり対決するというよりは、母親が幼い子どもをあやしたり諭したりするように、愛を持って言い分を聴き、優しく包み込んであげるようにすると、スーッと昇華していくようなイメージです。

3回目の断食明けには、憑き物が取れたように、いくつかのことに対する強いこだわりがなくなっていることに気付きました。
どうしても頭から離れなかった「○○するべき」という思いが、「そうでなくても、まぁ、いいか♪」という感覚に変化していたのです。
それと同時に、一時期カフェイン中毒かというくらいあったカフェインへの欲求が、ピタッとおさまりました。

4回目の断食明けには、今まで疑いもしないほど絶対的だった自我の視点が、急に相対化されるという経験をしました。
経験の上で主体と思い込んでいた自我が、実は主体ではない…。
コインの裏と表がひっくり返るような、世界がまるで違って見えてくるような経験でした。
では、本来の主体とは何?
というより、そもそも主体とは二元論的な立場において客体に対するものとして想定されるものなので、つまるところ主体を探すこと自体がナンセンス?
そんなことを、心臓を鼓動させているいのちの働きの不思議と共に考えている今日この頃です。

さて、今日からの断食は、どんな経験が待っているでしょう。
経過を楽しみたいと思います。
経験を言語化できるまでタイムラグがあるのですが、またこちらでもレポートするかもしれません^^











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# by ramram-yoga | 2016-08-12 00:07 | 断食 | Trackback | Comments(0)
山の日のヨーガ
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毎週木曜日に段上公民館で行っているヨーガクラス。

今日は祝日でしたが、通常通り行いました。

久しぶりに来てくださった方がいたり、知り合いが初体験に来てくれたり、嬉しいレッスンとなりました。

******

私たち人間は知的に非常に発達していますから、ともすれば思考の世界で生きてしまいます。

過去の嫌な出来事を思い出すと、それが今あたかも目の前で起こっているかのようにイメージする高度な想像力を、私たちは持っています。

そして、その時、体もその嫌な体験をしたときと同じような反応をしているのですよね。

息が浅くなり、体がこわばり、萎縮してしまいます。

未来に対する不安もしかり。

でも。

それは私たちの頭が作り出した幻想。

「今・ここ」には、ないのです。

そのことを、よーくよーく観察していく。

何度も、何度も、みていく。

そして、ただ起こっていることと、頭の中の幻想とを、はっきりと区別していく。

そうしていくことで、普段私たちの頭の中で延々と続く思考のおしゃべりや、移ろいゆく感情が、自分の本質ではないことが、少しずつ分かっていきます。

私たちの本質は、動き回り、移ろいゆくものの背後に在る、不変なるもの。

常にそこにあるもの。

静けさと、歓喜と共に。

そこに意識を合わせていくのが、ヨーガです。

焦らず、自分のペースで大丈夫。

「できない~!!」と焦っても、自責の念が増えるだけであまりいいことはないですよ(経験済みです・笑)

私自身も、年数を重ねるごとに少しずつ少しずつ、深まっていく感覚を持っています。

一緒に、やっていきましょう^^

*******

この段上公民館クラスのお月謝は3000円ですが、単発1500円でも受けていただけます(2回以上はお月謝制で3000円となります)。

お気軽に、お越しくださいね。

皆さまと一緒にヨーガをする時間は、私にとって本当に幸せな時間です。


(写真は、昨日仁川の清流にて、子どもと水遊びをした時のものです。)

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# by ramram-yoga | 2016-08-11 17:47 | YOGA | Trackback | Comments(0)
1~7月の読書本
今年上半期に読んだ本を記録がてら記しておきます。

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1.『反省させると犯罪者になります』岡本茂樹著
2.『妊婦の』
3.『状況に埋め込まれた学習-正統的周辺参加』福島直人
4.『「気」で知る深層心理学』河野十全著
5.『人間の神秘 第1部 生命の神秘』河野十全著
6.『人間の神秘 第2部 「気」で生きる』河野十全著
7.『人間の神秘 第3部 生命を探る』河野十全著
8.『仏教思想のゼロポイントー「悟り」とは何か』魚川祐司著
9.『看護の力』川嶋みどり著
10.『看護のための精神医学』中井久夫、山口直彦著
11.『ゆるんだ人からうまくいく』ひすいこうたろう×植村紘治
12.『心的トラウマの理解とケア』金吉晴
13.『面白いほどよくわかるフロイトの精神分析』立木康介著
14.『臨床家のためのDSM‐5』森則夫、杉山登志郎、岩田康秀著
15.『ウニヒピリ』イハレアカラ・ヒューレン、KR女史、平良アイリーン著
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# by ramram-yoga | 2016-07-31 15:12 | | Trackback | Comments(0)